湯に浸かった時の表現が乏しくてつらい
お風呂大好きです。
私以外の多くの人間もきっと好き、お風呂。
太古より人は湯を求める。テルマエロマエで見たから間違いない。
行基は草津温泉も湯田中温泉も山中温泉も見つけるし、空海は龍神温泉も杖立温泉も見つける。
ハンガリーも温泉大国だしアイスランドのブルーラグーンに死ぬほど憧れる。
私が住む北海道の東側では、露天温泉が多く、the・秘湯感があってとても良いです。
まだあまり巡りきれてはいませんが、
目の前に湖が広がり白鳥を臨める古丹温泉
世界遺産の知床峠の途中にあり、目の前の原生林と川が美しい熊の湯
ヒグマの生息地の先にあるヌプントムラウシ温泉
(写真は羅臼町の相泊温泉)
それにしても、こんなに温泉は素敵なのに、浸かったときの語彙力が乏しくて非常に悲しくなってきますね。
「生き返る〜」
「気持ちいい〜」
「眺めが最高だね!」
「肌がツルツルになる〜」
このくらいしか言うことないし、言えない。
なんでこんなに表現力がないのだろうか、本当に悲しいです。
こんなに太古から愛され続けているにも関わらず、素敵な表現ができないのだろう。私はなんのために温泉大国、火山大国の日本に生まれ落ちたのだろうか。
温泉にお盆を浮かべて日本酒飲んで、物思いにふけることしか出来ずに終える人生で良いのだろうか。
焦燥感に駆られた私は、青空文庫を読み漁りました。
引き出しがない。
美しさや温泉の素晴らしさの表現について、ストックが足りない。補充しなければ……学ばなければ……
ひとつ、美しい表現に舌を巻いた、素敵な作品を思い出しました。
なぜがオタクに認知度が高い(と勝手に私が思っている)文学作品
この作品に出てくるナオミはファム・ファタールの例として用いられることも多く、PCゲームなどで言及されることが多いような気がします。
その一節がこれです。
一体女の「湯上り姿」と云うものは、―――それの真の美しさは、風呂から上ったばかりの時よりも、十五分なり二十分なり、多少時間を置いてからがいい。風呂に漬かるとどんなに皮膚の綺麗な女でも、一時は肌が茹り過ぎて、指の先などが赤くふやけるものですが、やがて体が適当な温度に冷やされると、始めて蝋が固まったように透き徹って来る。
素敵……
温泉に入った時の表現ではないですが、
湯から上がった時の人の体を美しく表現してて大好きです……
私はこれから湯に入るたびに考えることでしょう、この一節を。
この文章を書いている私はちょうどまさに今、風呂から上がって15分程度です。
今の私の肌は蠟が固まったように透き通っていて、なによりも美しくある瞬間なのだと、心から思っています。
風呂に入った瞬間にとどまらず、美しさや素晴らしさは様々なアプローチで表現することができますね。
生まれ落ちたことを、両親や天に感謝するばかりです。
蠟が固まったように美しい私は、そろそろ寝床に着こうと思います。
繁忙感はありますが、明日は金曜日。なんとか頑張り倒して明日は琥珀に酔いたいですね。
おやすみなさい。